第2回 野球殿堂入り村民宮原清氏  宮原清明氏 H21年6月

 

 

青木村出身に野球殿堂入りをした人がいました。宮原清氏です。

清氏の生家は島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に出てくる田沢温泉のますや旅館。

上田中学(現上田高校)を卒業し、慶応大学に進みました。清氏は上田中学一級下の桜井弥一郎氏(南佐久出身)を同大に誘いました。これが二人を野球界で活躍させるきっかとなったのです。青木村殿戸出身の東急電鉄創業者五島(旧姓小林)慶太氏は上田中学で清氏の 一級上でした 。

清氏は明治36年第一回早慶戦の時、慶応大学の4番、二塁手で主将、弥一郎氏は投手でした。この試合は8回清氏のヒットから4点をあげ、11対9で慶応大学の勝利となりました。

清氏は大学卒業後、会社経営の傍ら社会人野球の発展に尽力された功績を認められ、昭和39年第五回目の時、殿堂入りを果たしました。

そのときの顕彰文は「明治36年早慶野球開始の時慶大主将。同野球部の発展に尽力し、昭和24年初代日本社会人野球協会会長として社会人野球の名声を世界に高めた」となっています。

昭和39年から都市対抗野球優勝チームには宮原賞として盾が贈られていて今も続いています。

又、弥一郎氏はその後、慶大の野球部の前身三田クラブの監督を務めるなど、野球界の元老として敬愛され、第二回で殿堂入りしています。