第3回 義民の里青木村          小林慶三氏 H226月

 

 

青木村は「夕立と百姓一揆は青木から」といわれるくらい百姓一揆が多く起こった地域です。一揆の首謀者となり、処刑された人たちは各地域で「義民」として奉られ、その意思は村の人々に語り伝えられてきました。

(1) 天和の義民 増田与兵衛 「天和2(1682)年・入奈良本」

村民の困窮と庄屋の横暴を藩主の仙石政明に越訴。願いは聞き届けられたが、掟によって父子三人が打ち首。墓は滝仙寺境内、祠は「与兵衛大神」。

(2) 享保の義民 平林新七 「享保6(1721)年・中挟」

年貢減免の越訴は聞き届けられたが、新七は死刑。新七稲荷大神として祀られています。

(3) 宝暦騒動 浅之丞・半平 「宝暦11(1761)年・夫神」

 上田藩最初の全藩惣百姓一揆。年貢免税・役人非法を強訴し勝利。計画の首謀者は浦野組の割番や庄屋達でしたが、両人のみ発頭として死罪。大正13年「宝暦義民之碑」建立、昭和18年義民180年祭挙行。

(4) 文化の義民 堀内勇吉 「文化6(1809)年・入奈良本」 

庄屋の横暴と宿場の新建反対を唱えて愁訴し、聞き入れられましたが、勇吉は獄死。「勇吉宮」として祀られています。

(5) 明治2年騒動 増田九郎右衛門 「明治2(1869)年・入奈良本」

連年の凶作・米価の高騰、偽二分金出回りによる流通機構の混乱、特権村役人への反感から強訴・打ちこわし。北信濃全域を巻き込む大世直し一揆となりました。(214軒焼失 49ヵ村260軒打こわし) 九郎右衛門は晒首、馬十は斬首、玉蔵・歌次、幸五郎は永牢。