第4回 青木村の義民の伝統       横山十四男氏H23年6月

 

 

近世において我国で起きた百姓一揆は、3,212件とも言われています。このうち「信濃の国」では173件で全国第一位、信濃の国に9藩あった内上田藩の発生は26件と多く、藩政に大きな影響を与えたものは、青木村の5件を含む次の8件であります。

西暦

和暦

発生地

首謀者

一揆の形態

1653

承応2

上田市・武石区

小山 久助

越訴

1675

延宝3

上田市・平井寺区

林 徳左衛門

越訴

1682

天和2

青木村・入奈良本区

増田 与兵衛

越訴

1721

享保6

青木村・中挾区

平林 新七

越訴

1761

宝暦11

青木村・夫神区

浅之丞・半平

強訴・打毀し

1784

天明4

上田市・下室賀区

小山 磯之丞

愁訴

1809

文化6

青木村・入奈良本区

堀内 勇吉

愁訴

1869

明治2

青木村・入奈良本区

増田 九良右衛門

強訴・打毀し

近世上田の里人の間では、「夕立と騒動は青木から来る」と伝えられてきました。 一天俄かに掻き曇り、子檀嶺岳・滝山連峰・夫神岳の頂から雷鳴と共に上田盆地に駆け下る夕立は、青木村で発生し、近隣の村人を巻き込んで駆け下った5回もの一揆を彷彿とさせます。

青木村は、山村ではありますが、古代から東山道の宿駅として開け、古刹国宝大法寺に見られるように文化的にも重要な地です。近世には北国街道と中仙道を結ぶ保福寺街道が通過しており、人々の交流は活発で決して閉鎖的ではありませんでした。

5回の百姓一揆は上田藩を震撼させ、百姓側の勝訴に終わりましたが、正義の言い分とはいえ、指導者の多くは罪人として死罪に処せられました。しかし、後には義民・神として顕彰され、その精神は村人の間に精神文化的な伝統として、現在に至るまで脈々と受け継がれているのです。

 

※ 文責 編集者

  文学博士 横山十四男氏は、1925年長野県生、筑波大学教授他多くの公職を歴任。

  歴史教育・百姓一揆・義民伝承などの研究の第一人者で、著書も多数ある。